地祇の邦  タイタニア第173氏族、ライザーグ一族―――
 故郷の世界においては、その名を口にすれば多少なりとも理解してもらえるという自負があった。
 だがエミル族、タイタニア族、ドミニオン族が対等な立場で共に生きるこの大陸では、そのような自負心など道端の雑草よりも無意味なものであることを知るのに、何らの時間もかからなかった。
 この地に降り立って代わりに知ったのは、それよりも遥かに大切なもの―――種族や立場の違いを越え、心から自分の持てる能力の全てを捧げたいと思わずにいられない相手―――大切な親友、仲間という存在なのだった。



エミル・クロニクル・オンライン ショートストーリー

「地祇の邦」



 暖かな陽射しが一面の草原を照らし出す。
 降り注ぐ日の光に輝く緑色は、頬を心地よく撫でる涼風に身を任せるように地平線の彼方まで揺れる。
 その所々で、コッコーやサラダアーチンがのんびりと徘徊しているのが見える。

 イストー岬―――
 故郷を離れて旅立った少年少女たちの多くが、冒険の中に生きる術を身につけ始めた頃に初めて乗り出す場所。
 そしてファーイースト共和国との出入国が容易になっている今、往来していく横顔には初々しいものから歴戦の武勇を物語るものまで様々な顔が往来するこの場所に、一人の少女は足を踏み入れた。

「ネノオウが湧くまであと10分ちょっとくらいだから…着いたらそのまま精霊の前で待っててもらえるかな」
「分かりました〜」
 その背に白い翼、その手に精霊のハープを持ち、詩人の衣を身にまとった少女―――霧羽・ライザーグは大地の精霊のいる場所を目指していた。
「確か…精霊にマンドラニンジンを見せて、ネノオウが出没する場所に連れて行ってもらえばいいんですよね?」
「うん」
 この日、霧羽は日頃から親しくしている一人から、ネノオウの討伐に誘われてイストー岬に来ていた。

 連れてきたマンドラニンジンを表に出し、大地の精霊ニオブに声をかけようと近付く。
「あの…」
 霧羽の姿に気付き、その瞳が背後にいる小さな何かを見たその時。
「あっ!? …って、なんだ違う種類かあ…」
「?」
 のんびりとした、のどかな足取りで霧羽の後をついてくるマンドラニンジンを目にしたニオブは、霧羽が言葉を発するよりも早く驚愕と警戒の態度を露わにした。
「最近、この辺にマンドラニンジンの亜種が現れるの。
 たぶんこの辺一体は緑が多いから、この土地の養分を吸いに来てるのだろうけど…数が尋常じゃないのよ〜…」
 万物を形作る四元素の一つ、大地を司る精霊ニオブの口調からは穏やかさがほとんど感じられず、苦悩と焦燥感さえ漂わせているように見える。
「この地を荒らしに来る、その亜種というのがマンドラワサビとそれを従えたネノオウなのでしょうか?
「そうよ。あの者達は単に大地を荒らすだけではなく、秩序と安定を乱す存在でもあるの。
 こうしてあたしの所を訪れてくれたのも何かの縁だし、ファーイースト地方の豊かな実りを守るためにも協力して下さらない?」
「もちろんですよ。
 もとよりネノオウの話を聞いて、討伐するために来たのでもありますしね」
「本当!? それじゃあの者達が出没する辺りに送り届けるから…、この土地のためにも頑張ってね!」
「はいっ!」
 そしてニオブの案内で精霊の結界前に来た時、霧羽は見覚えのある二つの人影に気付いた。
「お、早かったね」
「今日もよろしくね」
 そこにいたのは―――霧羽が日頃から親しくさせてもらっている、ドミニオン族のカバリスト・リュウとエミル族のナイト・ユウカだった。
「今回は訳あって3人だけになるけど、俺達3人なら行けると思う」
「みんな経験も実力もあるしね。
 人数が少ないと、多少時間に手間取るかも知れないけど…頑張っていこうね」
 二人の言葉からは、数多くの戦いを制してきた者だけが勝ち取ることの出来る自信が、霧羽にも分かるほど満ちている。
「どこまで出来るか分かりませんが…お二人の障害にならないように、精一杯のことはします」
 ―――レベルもほとんど上限まで達し、ネノオウに限らず数々の場数を踏み越えてきたリュウさんとユウカさん。
 そんなお二人とは対照的に…上限レベルには果てしなく遠いし、パーティ戦では最も倒れることがあってはならないドルイドなのに、誰よりも先に倒れてばかりの自分。
 まして今回は互いにリザレクションをかけ合うだけの同業の人もおらず、ヒールやリザの責任は全て自分が負うことになる。
 お二人はとても優しい人だから、責めるようなことは言わないで下さるけど…いつまでもそんなのじゃ、パーティのお荷物以下の存在でしかないもんね…
「そんなに気負う必要はないよ…よしそろそろ時間だ。
 もうどこかにいる筈だから、探しに行こう」
 傍から見ても緊張気味の霧羽の肩に軽く手を置き、飛び上がるほど驚く様子を見たリュウは小さく苦笑すると、またすぐに真顔に戻る。
 そして、自ら先頭を切って結界の外に足を踏み出した。
 それに歩を同じくするようにしてユウカも踏み出し、少し遅れて霧羽が後をついて行く。

 ―――ペタン、ペタン、ペタン…
「!?」
 イストー岬の中を進み行く3人の斜め後ろから、草原の緑に調和するとは言いがたい小さな物体が襲い掛かる。
 余所者の姿を認識したマンドラワサビは、毒々しいまでの黄緑色をした蔓を絡ませてこようとする。
「そこっ!」
 マンドラワサビの動きをいち早く察知したユウカが、手にした槍を横に振るう。
 ブウンッ、っとオリハルコンスピアが文字通り空気を切り裂く唸りを上げると、一斉に飛び掛ろうとしていたワサビが吹き飛ばされた。
 だが一部のワサビが空気のブレに反応し、真上に飛び上がる。
「漆黒に輝くは我が剣…闇の奥底に潜みしその大いなる力、我が剣に宿れ! グリムリーバー!」
「天(あま)高きより降る光の一条よ! 邪なる魔を貫く聖なる矢となれ…ホーリーグローブっ!」
 ユウカの攻撃から難を逃れたワサビをリュウと霧羽が追撃すると、ワサビは地面に染み込むようにして姿を消し、周囲にはタムタム草やアボリー草が散乱した。
「今日は徘徊しているワサビが多いな…ネノオウを探すのにも少し手間がかかるかも知れないな」
 度々襲い掛かってくるワサビを撃退しながら、リュウは表情を変えることなく言った。
「見通しのいい場所だし、必要以上に広すぎる訳でもないから大丈夫じゃないかな?」
「私もそう思います」
 ユウカが再襲来に警戒しながら言うと、霧羽もそれに同調する。
「ま、目立たない大きさでもないし…もう湧いていることに変わりはないはずだから、そのうちには出くわすだろう」
 リュウはそう言って、再び前進を始めた。

「…あれ?」
 海岸線に近い崖の手前、背の高い草をかき分けるようにして進んでいた時…不意にユウカが足を止めた。
「ん?」
「ユウカさんどうしました?」
「二人とも聞こえない? …ほら、あれ」
 リュウと霧羽はユウカに倣って草の中に埋もれるように身を低くし、音に集中する。
「…奴か」
「そう言えば…」
 風に揺れる草原の音や独特なワサビの足音の中に、それとは明らかに異質な何かが混じっている。
 あの足音と共に聞こえてくるそれは、ワサビの軽い足取りとは対照的に圧倒的な重圧感を三人に与えながら近付いている―――ような気がする。
「よし、俺がワサビを曳き付ける。
 ワサビがネノオウから剥がれたら、ユウカさんが攻撃してくれ。
 それと霧羽さんはユウカさんの支援と回復を頼む」
 ネノオウの姿がはっきりと見えない間にも、リュウは非常に手馴れた様子でユウカと霧羽に指示を出していく。
「リュウさんは大丈夫なのですか? お一人で全てのワサビを引き受けるなんて…」
 草間の陰から一歩を踏み出そうとしたリュウに、霧羽は心配の二文字が顔に書いてあるような表情でその腕をつかんだ。
「?」
「それでは、何か申し訳ない気がして…」
 これまでにも、リュウやユウカとは幾度かネノオウ討伐PTにご一緒させてもらったことがあり、その際にリュウがネノオウとワサビを分離する戦法は何度か経験してきた。
 だが支援役のドルイドやソーサラーが十分にいる訳ではない今回の討伐で、リュウを支援の対象から外してしまうのは失礼なのではないか…?
 何より、このパーティのドルイドは自分しかいないという現実が、前衛の方々を支える責任という形となってその繊細な翼へのしかかる。
「ん…ワサビの相手くらいなら、ソロでも十分に対応出来るし。
 それに今回は三人しかいないから、俺がワサビを始末するまではユウカさんの支援に専念をお願いしたい」
「大丈夫だよ。いざとなれば私だってヒールくらい出来るんだし…そんなに張り詰めてたら、楽しいものも楽しくなくなっちゃうよ?」
 ユウカはまだ固さの抜け切らない霧羽に明るく笑いかけると、固さを解きほぐすように肩を二度叩いた。
「そういうこと。…この音だと、かなり近いな」
 三人が話している間にもネノオウらしき足音は確実に近付き、三人は互いの背を合わせてワサビの襲撃に備える。
「…………いた!」
「行くぞっ!」
「はいっ!」
 オリハルコンスピアを正面に構えたユウカの声が草原に響き渡ると、三人はその先で山のように聳え立っていたネノオウに向かって駆け出した。
「ディレイキャンセル! …はぁぁぁっ!」
「天上より授かりし大いなる力よ! 魔を打ち砕く力もてその身に宿れっ!…ラウズボディ!」
 ラウズの加護を受け、速さと鋭さを更に増したユウカの槍が巨体に向かって激しく唸りを上げる。
 ―――グォォォォォォゥーーーッ!
 ユウカの攻撃にネノオウが咆哮すると、それに呼応するように大地も鳴動し始める。
 そして枝のようにも見える腕の一本を前に突き出すと、ユウカと霧羽は激しく揺さぶられ、そのまま地面に叩きつけられるような衝撃を受けた。
「きゃぁーっ!」
「アースクライか! 二人とも大丈夫か!?」
 ネノオウから十数歩の距離でワサビと格闘していたリュウは執拗に絡ませてこようとする蔓を強引に引きちぎると、二人の方向に駆け寄る。
「私は大丈夫…でも霧羽さんは!?」
 ユウカは槍を支えにしてどうにか立ち上がり、背後を振り返ると霧羽が息も絶え絶えにヒールを詠唱しようとしていた。
「ユウカさん、霧羽さんにヒールを頼む! …それから霧羽さんは俺達にフェザーを!」
「分かった! …天の恵みよ、傷つき倒れし者の癒しの光とならん!」
 ユウカがヒールを詠唱すると、霧羽は再び翼を広げ、二人に申し訳なさそうに頭を下げた。
「本来ならヒールも私が果たすべき役割なのに…体力がない、弱いドルイドで本当にごめんなさい…」
「いいからいいから…それより私とリュウさんにフェザーをお願いね」
「はいっ、分かりました」
 ワサビと対峙し、霧羽から背を向けたままでユウカは言った。
「闇を挫けし者、誇り高き精霊ミマスよ! 我が請い願わん、其は朋友の傷つき倒れるが故を未だにして止めんが為…而して誓う、己が全てを癒す祝福を受けし光の翼とならんことを! ホーリーフェザーっ!!」
 霧羽が長い詠唱を終えると、三人の頭上に瞬間だけ羽毛が舞い降り、溢れるほどのエネルギーが身体全体を満たしていく。
「ここからが反撃だ…聞けネノオウ! 俺達がお前を討伐しに来たパーティーだっ!」
 リュウの持つ煌く星の短剣が黒く輝くと、一斉に襲い掛かったワサビが切り裂かれた。
「ネノオウの魔法はほとんどが範囲攻撃だから霧羽さん、詠唱が始まったのが見えたら発動まで距離を置いてて!」
「了解しましたっ!」
「これでワサビの始末はついた…あとは再召喚に注意しながらネノオウを倒すだけだ!」
 あらかたのワサビを倒しきったリュウがユウカと霧羽に合流すると、三人で一斉に総攻撃をかける。

 ―――グォォォォォォゥーーーッ!!
 三人の激しい攻撃を受けたネノオウが、再び天地を揺るがすような咆哮を上げた。
「来るぞ! ヤツから離れろ!」
 アースクライの衝撃が、三人を襲う。
「くっ…十数歩離れた所からでもこんなに揺れるなんて…とんでもない敵だわ」
「そうだな…だけど、あともう少しだ。ヤツの動きは確実に鈍っている」
 ユウカとリュウはそう言うと、互いに目配せしながら対極の位置に回り込んだ。
 そして、ネノオウの内部からミシッ、ミシッと巨木が裂けるような音が聞こえた時―――
「今だ! …これで終わりだっ!!」
 リュウとユウカは互いを見合わせて頷くと、渾身の力と魔力を込めて叫んだ。
「黒より黯(くら)き混沌を司る者…我リュウが命じん! 我が前を阻みし全ての愚か者を滅ぼす無限の闇を此処へ現せ! ダークブレイズ!!」
「此が一撃は破邪の閃き…嵐の一閃、受けてみなさい! スピアサイクロン!!」
「天高きより降る光の一条よ! 邪なる魔を貫く聖なる矢となれ…ホーリーグローブっ!」
 地上にはダークブレイズの巨大な魔法陣が姿を現し、空中からはユウカの槍が文字通り嵐をまとってネノオウに襲い掛かる。

 数刻後。
 それは刹那か、久遠の時か―――
 バリバリバリバリバリッ…ドォォォォォォーンッ!!!………………
 断末魔のような雷鳴を思わせる叫びと、それに続く何かが爆発するような倒壊するような…筆舌に乗せがたい音がイストー岬を覆いつくした後に訪れたのは、それまでの激しい鳴動が嘘のような静寂だった。
 半歩先も分からないほど一面を包んでいた土煙が収束し、三人が互いの顔を見合わせながらも沈黙がなお続く。
 ……バサッ!
 一枚の絵画のように動きを止めていた光景に、再び時間の流れを投じたのは一迅の風だった。
「いやぁっ!?」
 海岸の方向から吹き上がる風が、霧羽の身を包む詩人の衣の裾を弄ぶ。
「……この辺は風が強いみたいだ。精霊の所まで戻ろう」
 タイタニアは大抵いつも浮いているんだから、もっと裾が長ければいいのに…という霧羽の思考を察したかの如く、リュウは素早く身を翻すとユウカたちの姿を確認もせずに歩き出す。
「あははっ…そうだね」
 一迅の風が起こしたイタズラを笑って見ていたユウカも、リュウに続いて歩き出す。
「あっ…待って下さいよぉ〜……」
 いつ終わるともつかない風のイタズラに、霧羽は根負けして二人の後を追いかける。



「霧羽さん」
「はい?」
 大地の精霊ニオブの前まで来たリュウは、不意に霧羽を呼び止めた。
「俺もさすがに、たった三人で行けるか分からなかった…
 だけど、こうして討伐も出来たし…自分が全然役に立たないなんて思わないで欲しい」
「………」
「確かに、特にドルイドが一人しかいない場合のパーティだと…すぐに倒れてしまうのは困る。
 だから簡単には倒れないだけの体力を霧羽さんはつけないと厳しいとも思う。
 何より魔法と、それを上手に使いこなすだけの器用さに凄くこだわりを持っているのは分かるんだけどね」
 図星をストレートに突かれたような思いで、霧羽は思わず気持ちの中で後ずさる。
「まあ、試行錯誤するのもいいんじゃないかな。
 想像の中で結論付けるよりも、実体験してみた方が納得も出来る筈だし」
「そうだね。…霧羽さんだって、身動きを取れなくなってヒールも何も出来ずにいるのは楽しくないでしょ?」
「ユウカさん…」
 不意に聞こえた背後からの言葉に、霧羽はギクリとした。
「私は、みんなでする狩りは楽しいのが一番大切だと思うよ。
 パーティの中に、苦しい思いをしている人がいたらみんなと分け合える楽しさも減っちゃうんじゃないのかな?」
「うん…」
「リュウさんも言ってるけど、色々と試してみるのが一番だと思うよ。
 その上で、自分で十分に納得の行く結論を出せばいいんだしね。
 霧羽さんはいつも悩み過ぎるような気もするけど…もっと気楽に行こうよ、ねっ?」
「そうですね」
 ユウカが明るく微笑みかけると、霧羽も笑顔で返した。
「それじゃ、俺はこれから用事があるから今日の討伐はここまでにしよう。
 二人ともお疲れ」
「私もこのままアクロポリスに戻るね。霧羽さんはどうするの?」
「私は…飛空庭で荷物整理をしてから戻ろうと思います」
「そっか。それじゃ、先に戻ってるね…お疲れさま」
「お二人ともお疲れさまでした〜」
 ファーイースト街道に向かって次第に小さくなっていく二人の背中を見送ると、霧羽は改めて大切な存在に思いを馳せていた。
「他の人のために生きることもドルイドの意義の一つだと思うけど…それも実際に相手がいてくれてこそ、だもんね…」
 自分はドルイドとしても一人のタイタニアとしても、決して立派な存在でなければ誇れるような存在でもない。
 それは、過去に自分が犯してきた罪の数々が物語っている。
 それでも――いや、それにもかかわらずこうして霧羽という存在を許し、受け入れてくれる人がいる。
「それが、どれだけ感謝すべきことか…いつも心にとどめておかないと」
 霧羽は腰のデイバッグから飛空庭の起動キーを取り出すと、呼び出すのに一番の場所を探しに空を見上げる。
 空は、地平線を境界に緑の大地と見事なコントラストを見せている。
「よしっ、次も頑張ろうっと」
 空の彼方から飛空庭の影が見えてくると、霧羽は翼を広げて空の向こうへ舞い上がった。

―終―